太郎からの留守電

・家に帰って留守電を聞くと太郎からのメッセージ。「外務大臣や防衛大臣をやったから、国の中枢を担っていく。ワクチンも頑張った。だそうだ」ああそうかい。ご苦労なこった。悪田権三は特定の政党や宗教に加担していないから、政治家の先生方には、世の中を安全で住みよいものにして欲しいと願うばかりで、それ以上も、それ以下の期待もない。

・そもそも、悪田は警察官を長くやらせていただいてきたので「警察官は選挙やっちゃいけねぇ」とか「日本共産党は敵だ」などと叩き込まれてきた。いわゆる洗脳教育を長く受けてきたから、いまさら、大した影響を感じる場面もない。

・警察官を拝命して「仮入校」という期間があった。確か、入校式は昭和63年の4月10日ころだったと記憶している。今でも当時の写真が残っている。満開の桜の下で同期生と写真を撮ってもらった。着慣れない制服姿で、顔をひきつらせながら教官に撮ってもらった集合写真は一生の宝物となっている。

・同部屋の、当時、18歳の少年で、長野県出身者のO君という同期生がいた。遠隔地からの入校だったので、北海道から出てきた悪田と同じく、警察学校に前泊した。真面目で正義感に溢れた雰囲気を醸し、正義感や意気込みが感じられたが、一週間ともたたず去っていった。理由は「日の丸は国旗ではない」「君が代は国歌ではない」と主張し、それを強制されることに耐えられなかったからだ。

・集団生活に馴染めないとか、規律に縛られるのか耐えられないとかは「あるある」だが、君が代に縛られたくないとか、赤丸に恐怖を感じたとかの主張は奇異だ。あるいは警察にアカハタが掲げられていると思っていたが、なかったので衝撃を受けたのかは定かでない。

・聞けば、ご両親は公立学校の教職員らしく、流石、教育王国長野県の名にふさわしく、真面目に実直に育てられたのであろう雰囲気を醸していた。もちろん悪田もO君も入校生全員、入校日初日に全員、坊主頭にされた。そこから規律正しく、まるで軍隊のように規則正しい生活の中で、警察礼式を徹底的に叩き込まれた。

・その中で、入校式に向けたリハーサルが繰り返され、君が代の伴奏とともに、国旗に正対し、大きな声で腹の底から元気よくを指導された。悪田は歌唱力に自信があったので、誰よりも大きな声で国家を熱唱した。前期生である指導巡査に褒められた。「お前は頭は悪そうだが歌は元気があって良い」のような感じだった。

・何事も調子をくれてごまかしていたおかげで、他の同期生よりも腕立てをやらされる回数がちっとだけ少なかったかも知れない。

・話を戻す。悪田の隣でO君は、いつもなぜか「口パク」であった。

・両親から「君が代は国歌じゃない」「日の丸は国旗じゃない」を教えられているから、真っ赤ではない旗は受け入れられなかったのだそうだ(一部、悪田の想像含む)。

・悪田は「そんなもん、些細な飯のタネだから、適当に切り替えて、赤いところだけ見て、腕でも降って忠誠心を尽くしたフリでもしとけばいいっしょ」などと、北海道弁で畳みかけたが、彼は受け入れられなかった。そして、入校式を前に去って行った。

・ちょいと前に、警察学校を題材としたドラマが流行っていたが、実際には、元アイドルの女警が、機械式駐車場にケツを挟まれて動けなくなるようなハプニングはない。逆にO君のように、国家と国民に奉仕しようとの崇高な理念を掲げ警察官を拝命したのに「オレ、実は本名が、『さざれ石いわお』だから、なんかこの歌、好きになれないんだよね」などと言って去っていくような奇妙なヤツがいたりする。

・だから、O君のことは今でも、同期生の中では語り草となっている。O君は果たして今、どうしているのだろうか。元気に過ごしてくれていれば何よりだ。

・親も親だと思う。立憲民主党の支持母体である日教組は左翼的社会主義思想を持つ集団だ。最近でこそ、教職員に占める割合は減少傾向だというが、マルクスレーニン主義思想を基本的理念と掲げ、反戦・平和、反米、反原発、反安保をプロパガンダとして展開し、自衛隊や警察を暴力装置と位置付け、天皇制に反対している。

・それを自分の中の信条とするのは勝手だ。だが、彼らは、それを無辜の生徒に曲解して教え込み、自分たちの主義主張のために、教職員組合のストライキに便乗して公務をサボタージュし、卒業式という公務の場で国旗に背を向け、国歌をおとしめ、公私混同、やりたい放題の限りを尽くしてきた。にもかかわらず、公務員として国から俸給を貪ってきた。

・そのようなイデオロギーの家庭で育った18歳の純朴な青年が、長野県から一人出て来て、来る日も来る日も、天皇は戦犯だとか、日の丸は国旗じゃない、君が代は国歌じゃないを叩き込まれてきたのなら、右翼の巣窟でもある警察に入った途端、即死してしまうことくらい分かりそうなものだ。

・曲がりなりにも進歩的文化人を標榜するのであれば、そのくらいを想定してご子息・ご令嬢を暴力装置に送り込まなければ、その世界で息子が生きて行くことが困難ないことくらいは理解すべきだと、悪田は、当時、考えた。

・あるいはスパイだったのかも知れない。だとすると、この同期生スパイは、極めてメンタルの弱いゴルゴ〇3のようなものかも知れない。

・で、太郎からの電話。ちなみに留守電だ。

・決して釈然とはしないし、自民党の応援団でもないが、結局のところ、そこに落ち着くしかないのかなと考えている。自民党政権を特別に指示している訳でないから、面白くもおかしくもないが、30数年前に、無謀にも、バリバリ日教組の組合員が、息子を警察組織にスパイとして送り込んだが、体制に組み込まれる前に正体を白状してクビになった。

・そんな前例を踏まえると、その支持母体たる彼らを俯瞰すれば、進歩的文化人たる彼らに期待する要素はゼロに等しい。要は口だけだからだ。

・マンション管理会社のフロントマンも、よく、作成した文章や、アンケートといった起案文を、理事役員さんにダメ出しされることがある。じゃあ、あんたが作ってみたら?と言いたい場面もあるが、それは言わないようにしている。

・現にそれを理事役員さんにやらせたフロントマンが実際にいる。情けない話だが、それをド素人にやられた日には、悪田であれば潔く退職する。

・フロントマンは、管理組合にとっての生き字引、なんでも対処可能な法律家でなければならない。それを否定されてしまえば恥ずかしくて顔向けできない。

・人の作ったものなど、いくらでもケチをつけることは可能だ。しかし、ケチをつける側に、その能力が備わっているかとういうと、それはない。人の作ったものを批判することは出来るが、自分で作成するのは、それはそれでたいへんな作業だ。

・だから、批判を受ける側は、どんどん批判をいただけば良いと思う。

・どうせ、人の作ったものを批判する程度の批判など、大した批判ではない。

・だからこそ、批判を承知で電話を寄越した太郎は、まだまともだと悪田は評価した。別に積極的に支援するつもりはない。だが、共産党と選挙協力という名のもとに融合を果たした、専制民主党あるいは立憲独裁党よりかは、はるかにまともだと評価する。

・昔、悪田の若かりしきころ、共産党の弁護士に助けられたことがある。実はその部分では恩義を感じている。だが、その美談は、またの機会に譲る。

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