スーパー巡査→最後は「バカ」になるの格言を考える②

・「スーパー巡査」とは、仕事ができる若い警察官を言う。もう少し踏み込んで言うと、真面目で一生懸命、前向きで失敗を恐れず何事にもトライし、吸収力抜群で、明朗でスポーツマンでといったところ。

・「そんな警察官いるの?」と思われる方も多いかも知れないが、意外と多くいる。志高く県民の安全・安心を守りたいと考えて警察官になるのだから、素養に優れた人が多い、何といっても若いから純粋で前向きだ。良い指導者に恵まれると、能力はさらに向上する。

・悪田も若いころ、素晴らしい上司・先輩に恵まれたことで、何事にも一生懸命に取り組むことの重要性を学ぶことができた。

・ところで、冒頭の格言に関しては、悪田がある専科で警大に入校した際に、本庁の幹部から聞いた。その理論はこうだ。

・「スーパー巡査」は仕事だけでなく、果敢に昇任試験にもトライするので階級をどんどん伸ばす。巡査として優れた能力を持っているので、巡査部長になっても、その能力はいかんなく発揮される。部下を持つようになるとさらに指導力が身につくのでさらに向上する。

・ほどなく、警部補になる。幹部として実務を与えられ、多くの部下をけん引し、自らも率先して取り組むので、担当する係の実績が向上する。チームとしての成果が存分に発揮され、幹部としての指導力が認められるので、要職を与えられる。元々、抜群の素養を持っているので与えられた仕事に付加価値がつき、さらに良くなってくる。

・警部になると、さらに難易度の高い仕事を与えられる。自分自身が業務の中核となって部下を有機的に使って成果を挙げることが求められるので、その分、ストレスも多くなる。立場上「出来て当たり前」の役職だから、逆に出来なかった時、求められた成果を遂げられなかった時の風当たりも強くなる。

・昔、悪田が若いころ、ある大手電気メーカー幹部社員が敢行した、総額3憶円を超える詐欺事件を一年がかりで携わったことがあった。悪田が捜査第二課でお世話になっていた当時のことである。被疑者は関西屈指の名門大学を首席で卒業したエリート。職場では「主任技師」の役職を与えられ、機器の試作や研究開発といった部門の企画部門の統括的役割を与えられていた。「架空発注」という手口で部材や部品を調達したように見せかけ、その後、架空の買掛金を計上する事後処理を行い、長年にわたって下請け会社に嘘の売上をもたらし、そこから、自己の利を図っていたという構図であった。

・被疑者は名門大学を卒業した大手電気会社の主任技師、対する取調官の悪田は北海道の三流高校を卒業しただけの凡才警察官、しかもまだ警部補としての経験も浅く、刑事としての事務能力も十分ではなかった。

・電気メーカーの試作・研究開発部門というのは、ある期間における与えられた予算の中で、成果を挙げ、それを次世代の主力商品として世に送り出す使命を持っている。簿記で使われるところの「試作費」「研究開発費」「間接費」といった予算で、被疑者はこれに目をつけ不正行為を繰り返した。

・時、悪田は、ある日、雑談の中で被疑者とこのような会話を交わしたことを覚えている。「試作や研究開発として成果を挙げようとしても、それが必ずしも成功するとは限らないのではないか。答えの分からない仕事に向き合うのだから、当然にうまく行かないこともあるのではないか」するとこのような答えが返ってきた。「悪田さん、目的があって、予算がつけられものに、失敗という答えはないんですよ。会社は成功するかしないか分からないものに予算をつけることはないんです。先の見えない仕事だから、何が答えか分からないテーマだから、皆、ストレスを抱えているんです。ストレスの発散方法は人それぞれですが、私はお金という不健全なストレスの発散方法を選択してしまった」といった内容。正直、悪田の問いに、被疑者は鼻で笑ってこのように答えた。

・話を戻す。スーパー巡査は、能力が認められて出世する。役職を与えられ、立場が変わると責任がつきまとう。成果を求められ、そこに応える義務が生じると、おのずと「やって当たり前。出来て当然」という評価になる。巡査としては申し分のない能力だが、例えば警部になると「そんなの当然」といった見方になる。

・その後、スーパー巡査は警視になる。すると、そこに求められる成果はさらにレベルアップする。目的が遂げられて当然の評価は、それが達成されなかった時に「何故、出来ない」といった疑問に変わる。出来ない理由を幹部の能力だと位置づけられると「あいつじゃ、しょうがない」にかわる。こういうことが日常的に繰り返されると、次第に「バカ」のレッテルが貼られていく。

・巡査のままであるならば、類まれな存在、優秀だと評価された者が、周囲にほめそやされて、出世を重ね、挙句、警視まで上り詰めると、いずれバカ者扱いされてしまう。表題の神髄はこのような意味を持つと聞かされた。これは、どの世界においてもよくあることだかも知れない。よく「一芸に秀でる者は多芸に通ず」といわれるそうだが、一方でこの言葉は無能な指導者の常套句でもあるようだ。多芸に秀でるものはなかなかいない。

・引続きこの格言の意味を考えていきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA