・おこがましくも人生を舐めていたかも知れない。
・悪田権三は、そんな衝撃を感じた。
・冒頭からめちゃくちゃな表現なのは承知してのことだ。要するに、言葉にならない感動を覚えたといいたい。
・改めて言えば、国の政策は間違っていないことに気づかせられた。願わくば、引き続き、わが国が民主国家として良識ある国民の多くが、正しくものごとを判断し、間違いがあれば修正して、多様化を受け入れ、皆、仲良く朗らかな世の中が続くことを願った。理由は以下のとおり。
・NPOという非営利団体を法人と認め、その存在意義を正しく認識し、適正な運用を図るべく、所管する行政機関が運用をつかさどる制度を確立しているからだ。
・しかし、あえてここで、悪田は、余計な解説は必要ないと判断した。
・悪田のブログは「文字だけで頑張る」をモットーとしてきた。特にリニューアル後の、この三か月間は下手な文章を駆使しながら頑張ってきたつもりだ。
・だが、しかし、本日をもって、それを改めることとした。悪田は間違っていた。悪田は視野が狭かった。悪田は経験値が足りなかった。などなど。とにかく、これまでの自己を批判しつつ、今後、改善して行きたいと誓った。
・もちろんこれからは、共産党や立憲民主党、どうでも良くない社民党や日教組、さらには警察から教わった「カルト教団」とされる「オウム真理教(アレフ)」「幸福の科学」「エホバの証人」「日蓮宗顕彰会」「ヤマギシ会」「統一教会」などの悪口も言わないよう心掛ける。
・とにかくこれを見てほしい。
↑クラフト製のトートバッグだ。
だそうだ。
ちなみにこういう作品もある。
・どうだろうか。悪田は感動した。
・いずれも障碍者施設の利用者さんが作ったものだ。
・しかも、本日、初出勤日を迎え、いろいろな方とお目にかかることが出来たことはなにより嬉しい。
・たかが紙のバッグだと思われるかも知れないが、これを作るために、どれほどの根気と集中力が必要なのかと思い知らされ、感動を覚えた。
・感動する作品を目の前にすると、余計な解説は不要となる。
・人は見かけだけで相手を判断しがちな生き物だ。
・健常者は障碍をもっている人を特別な目で見がちだ。あるいは、自分と違った価値観を持つ相手を批判的に評価し、時に集団で攻撃し、つるし上げ、自己が正当であることを主張しようとする。
・しかし、本日、悪田はこれらの作品をこの目で見て、手に触れた時、自然と感動を覚えた。だが、職員さんに言わせると、しかし、それは完璧の出来栄えと評価してはいけないそうだ。
・理由は、この作品をゴールと位置付けると、次回作からはこれ以上の作品を作れなくなるからだそうだ。
・人に感動を与えるための一品を作り続けるためには、今の結果に満足するのではなく、たゆまぬ努力を続けることが肝心なのだ。
・ちなみに今日(昨日)はある工房で、サンマを焼く大会が行われた。
・嬉しいことに利用者さんを始め、職員の皆さんが悪田のためにと、秋の味覚を用意して迎えてくれた。
↑鶴見川のサンマ(ちなみに鶴見川ではサンマはとれません笑)はとっても美味しかった。