五分のきょうだい

・もう15年もお付き合いをさせていただいている男性がいる。神奈川県内で建設業をやられている。その出会いは実に奇異であった。

・当時、悪田はなりたての警部で、地域課長だった。警視庁を除く全国の地域警察官は、いわゆる「三部制」と呼ばれる交代制勤務をしている。すなわち「当番」「非番」「日勤」を繰り返す勤務で、三日に一度、24時間勤務の当番に従事する。勤務交替後は非番となり、その翌日の日勤は朝から夕方までの日勤勤務。これを繰り返す。

・原則、非番日は勤務であるが、多くは体を休めるため帰宅し、翌日に備える。これをまともにやったのでは体が参ってしまう。そのため、当番の勤務時間内には休憩時間が設けられているし、非番日も、特段、取扱いがなければ帰宅が許される。日勤日も法定された休日を消化するために「週休」となることが多い。

・不規則な勤務ではあるが、体が慣れてくると、さほどしんどくはない。

・当時、悪田は課員の能力を向上させるためのプロジェクトとして、非番日に希望者を集め、いろいろな取組みを行っていた。例えば「捜査実践塾」「職質同行指導」などだ。あくまでも希望者を対象に実践指導をするもので、決して強制するものではなく、これにより個々の能力を向上させたいと名乗りを上げた課員を精強なものにしたいという取組みであった。

・捜査実践塾では、悪田が想定した事例に基づき、逮捕手続書や弁解録取書、簡単な供述調書を作成させたり、取調べをシュミレーションしながら話の展開方法やリカバリーの方法を考えさせるなどの実践指導を行ったりした。

・また、職質同行指導では、実際に制服姿で現場に出て職質を行い、苦手意識を排除して、課員に自信をつけさせる取組みを行った。

・どんな仕事でもそうだが、人に仕事をやれということは誰にでも出来る。

・だが、実務能力を向上させるためには、自らの経験を通して、失敗を重ね、成功体験を味わい、成功へのプロセスを体で覚え、その感覚を身につける以外に方法はない。

・そういう意味での実践指導は意義深いもので、指導員となる者は、常に実務に精通していなければならないと考える。

・悪田自身、自分の実務能力を部下に示す必要があると考えていた。ある当番日の朝、課員に「今日は一人で外に出て、片っ端に乗り物盗を捕まえます」と宣言しては、当直中に取扱う主な事件の指揮権を係長にお願いした。

・悪田自身がひとり制服姿で街頭に出て、片っ端に職質を重ねた結果、1当直で3件の乗り物盗(自転車盗)を検挙したともあった。もちろん全ての手柄は部下に譲り、部下の検挙実績に反映した。検挙実績に繋がるから、このやり方に異を唱える者は誰もいなかった。

・「課長またお願いします」などとからかわれたりもしたが、そうすることで自分達も街頭で積極的に職質しなければならないという意識が芽生え、次第に精強なチームが編成されていった。

・そんな中、ある日の職質同行指導の中で、一人の外国人の男性が目に入った。悪田と目があった瞬間、その男性は、一瞬、視線を落とした。「おかしい」すぐさま職質を開始した。

・悪田が勤務していた街は、外国人が多く、事件事故で外国人を取扱うことは日常茶飯事であった。ただ、その多くは善良な市民である。国籍や人種が違うということでぞんざいな取扱いをしてはならないことは基本中の基本なので、特に、言葉遣いは丁寧にを心掛けていた。

・ただし、外国人の中には、わが国と違い、徴兵制がある国で育ち、軍隊経験者もいることから、不意の反撃が予想されることを常に念頭に置くことが必要だ。軍隊経験者は野戦の中で体得した「相手の急所を狙う」「一撃で仕留める」という技を持っているから、常に気を張っていないと取り返しのつかないことになることを常に言い続けた。

・それでもやられることがある。現に悪田も地域課長当時、酔っ払いから一撃を喰らい負傷して課員に笑われたことがある。笑われる程度の怪我であったから良かったものの、現場では常に注意が必要だ。

・会話の中でこの男性は「フィリピン」の国籍を持つと話すも、パスポートを持っていない。在留資格があるかを尋ねたところ、いわゆる「オーバーステイ」であることを認めたため、いわゆる「入管法違反」の嫌疑が深まる。そのため歩いて警察署まで任意同行を求めた。

・男性はこれに素直に応じたため、同じく同行指導員として補助役となっていた係長、それに指導対象としていた課員とともに同行を開始した。

・ここで悪田は手痛いミスをした。

・警察署に向かう途中、鍵の壊れた自転車に乗っていた人が目につき、声をかけた。そして、係長に同行をお願いし、悪田は、一旦、そこを離脱して自転車への職質を開始した。係長を含め、課員が合計3名いたという安心感があり、係長も「大丈夫です」と自信を持っていたので信頼してしまった。

・自転車の職質は、ほどなくして結了となり、防犯指導をして別れた。悪田は急ぎ係長と合流すべく、その後を追いかけた。ところがだ。

・街中の先で騒然としている。部下がフィリピン人の男性を取り押さえている。警察官の脇には、悪田と同年代くらいの恰幅の良い男性が口から血を流して立っている。

・急ぎ駆け寄り、事情を聴いたところ、任意同行中にフィリピン人の男性がダッシュで逃走を図ったそうだ。「逃げられる」と察した係長は、咄嗟に「泥棒、誰か捕まえて下さい」と市民に協力を求めたそうだ。

・冷静になって考えれば、制服姿の警察官が市民に「泥棒を捕まえて下さい」とお願いするのも滑稽ではあるが、咄嗟の判断としては正しい選択だった。そこをたまたま通りかがった男性が、冒頭の建設業をやられている男性で、警察官に追いかけられているフィリピン人にタックルをして取り押さえてくれたそうだ。

・その際に口を切り、若干の出血を伴った。怪我は大したことはないとのことであった。こちらとしては、誠にみっともない話ではあるが、市民の協力によって、職質対象者を取り逃がすという失態を回避することが出来た。

・フィリピン人の男性は、その後の緊急照会で在留資格が失効していることが判明し、現行犯逮捕となった。

・フィリピン人を取り押さえてくれた男性は、たまたま近所のクリーニング店に洗濯物を出しに行った帰りだったそうだ。念のため、悪田は連絡先を聞き、後日、社長の会社を訪問しお礼に伺った。建設業をやられていること。年齢の悪田と同じであること。多くの従業員を雇用し、苦労も多いことを知った。

・その後、2~3年に一度ではあったが、利害関係なしにプライベートなお付き合いが始まった。居酒屋で一杯やる程度の雑多な付き合いであったが、同世代であることや、多くの部下を抱える立場にある苦悩や喜びを互いに共感出来る関係性が構築された。

・暮に毎年一度、皇室カレンダーをお送りして喜んでいただいた。社長室に飾ると、訪ねて来られるお客さんが、まずそういう話から始まり、盛り上がるのだそうだ。

・特別な利害関係はないと書いたとおり、互いに便宜な関係となったことは一切ない。警察を辞める時に「うちに来ませんか」とお誘いをいただいたが固辞した。不動産業を縮小し、マンション管理会社に再就職して、たまたま、弊社管理物件のそばに社長の会社があることを知り、挨拶に顔を出したことがあった。

・社長は会議中だったため、悪田は名刺を差し上げて引き上げたが、すぐさま、社長から電話があった。「なぜ私に相談してくれなかったんですか。うちの従業員に商談中であろうが、会議中であろうが、悪田さんが来たら必ず通せと叱っておきましたよ」などと嬉しい言葉をいただいたりもした。

・今年も暮が近づき、毎年、恒例の、お世話になった方々への皇室カレンダー配布の時期が来た。いつもどおり、社長にも送らせていただいた。先日、社長からお礼のお電話をいただいた。

・「その後、どうですか」と聞かれ、悪田は毎日、怒られながら、ブラック企業で楽しくやっていることを話した。社長もコロナ禍の中、業績も伸び、順調とのことであり、互いに安心した。

・このようなご縁をいただいた関係性が、15年もの長きにわたり続いているのは、利害関係のない、ちょうどいい距離感があるからだと悪田は考える。

・例えば、これが仕事上の労使関係であったり、取引先であったり、はたまた下請けと親会社の関係であれば、そこには、必ず利害関係が生じる。

・しかし、悪田と社長との間には、悪田が警察にいた時を含め、利害関係のない透明性が継続しているから、我々の関係性は、いわゆる「五分の兄弟関係」にある。

・たとえ、悪田が警察官であろうと、フロントマンであろうと、はたまた、この先、失職してホームレスななろうとも、あるいは社長が中堅どころの建設会社の社長であろうと、多くの従業員を雇用して羽振りが良かろうとも、五分の兄弟関係は永遠だ。

・だからこそこれを励みにしていきたい。「人は変化の中で生きている」立場は変われど、悪田も自身を向上させるための鍛錬を継続し、日々、自分自身を律しながら精進に努めていくことを忘れてはいけないと自分に言い聞かせた。

・人生、何事も経験だ。今の取組みが、いずれ生かせる局面が訪れると悪田は信じている。

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