お茶汲み3年

・青臭い昔話をする。

・悪田には、命を分け合った「相棒」がいる。悪田権三がまだ20代の当時、2年間、実務を学ぶ機会を与え得てくれた先輩である。先輩であるが、互いに相棒と呼ぶ関係性であったことから、今でも相棒と呼んでいる。

・当時、悪田は駆け出しの刑事で、相棒は実務3年の若手刑事だった。相棒は負けん気の強い性格で曲がったことが大嫌い。当時、頑固で有名な、職人気質の係長で、県内ではかなり名の通った師匠から3年間、暴力犯捜査の実務を学んでいた。当時、相棒は巡査の階級だったが係長、課長からも一目置かれる存在だった。

・当時、悪田は神奈川県内でも比較的、事件の少ない警察署の知能・暴力犯係員だった。巡査部長の階級で、主に暴力犯を担当していたが、この街には、暴力団の事務所も繁華街もなかった。いわゆる「現象事案」と呼ばれる、日々発生する事件もなく、比較的平穏な街だった。ところが、ある日、平和な街を震撼させる事件が発生した。住宅街で市民を狙った銃器使用の凶悪事件で、被疑者は元組員の男。情報によると「警察官を射殺してでも逃げ切ってやる」と周囲に話している。違法薬物を常用している様子が窺え、かなり厄介な事案に発展することが予想された。

・事件発生から数日間、それこそ、不眠不休の追跡捜査が続いた。規模の小さい警察署であったため、係や課の垣根を超え、まさに拠署一体の体制で臨んだ。悪田も相棒も事件を主管する係員だから、常に最前線に立ち、本部員との連絡調整、実況見分調書の作成、各種令状請求などなど、息つく暇もない。もちろん発生署の主管係員として、まずは被疑者を検挙するという重大な責任があるから、疲れを口にすることなど出来ない。そもそも、この事件は市民を逆恨みした根深い事件であり、現場にも24時間体制で警察官が張り付いている。再び第二第三の銃器使用が繰り返されないとも限らない。

・今では、捜査網が張り巡らされ、逃亡中の被疑者を補足する技術は目まぐるしく発展したが、当時は、追跡捜査というのはたいへんな作業だった。まさに人海戦術であった。投宿先と思われるエリアを少しずつ広げ、情報提供を呼び掛けるという手法を繰り返していた捜査員の中から、突如、情報が寄せられた。「都内のモーテルに宿泊している」直ちに、秘匿の捜査員が召集された。

・当時、事件指揮あたっていた、本部の捜査幹部が、被疑者が宿泊していた部屋の前で、声を殺しながら配置を行う。開口一番「誰か若い奴はいないか、3人だ。」現場に緊張感が走る。要するに先陣を切って突入するための志願者はいないかということだ。普通に考えれば、手を挙げる者などおるまい。ましてや、相手は警察官を殺してでも逃げ切ってやると豪語するポン中である。

・相棒がすぐに「オレが行きます」と手を挙げた。悪田は完全に相棒に先を越されたが、相棒に続いて手を挙げた。本部の指揮官は「よし、じゃあ、お前とお前と、もう1人は、え~と、お前でいい」と言い、警察学校を出たばかりの新人を指名した。新人は泣きそうな表情を浮かべていたが、悪田と相棒はそれを見てガハハと笑っていた。俺たち三人は完全に逃げ場を失い、上官の指示に従ってやったが、別に上官の顔を立ててやった訳ではない。デカとしての矜持、暴力のデカとしての心意気を、若手の意気として示しただけだ。イキのいい若手の不良連中が気勢を示す時によく使う強がりを真似て体現したまでのこと。しかし、それが生命の危機が迫る状況の中で、妙に小気味の良い潔さだった。

・イカれたポン中が、いつ飛び出してくるか分からない緊張の中で、小声で打ち合わせを行い、3人で握手を交わした。そこで相棒が「みんな生きてたら、また一緒に飲もうな」と言って別れた。自分で志願したことだが、死を覚悟した。しかし、後悔はなかった。自分が相棒が、願わずして引き込まれることななった新人くんが、切り込み隊となって狂ったポン中を襲撃する準備を打ち合わせた。そして、それぞれが自分の拳銃を抜いて被疑者の部屋に向き合い、黙って配置についた。無言の静けさの中に伝わる緊張感が、妙に心地よかった。俺たち所轄の、しかも若手の末端デカは、こういう役回りが似合っていることに思いを巡らせると、死ぬことの恐ろしさより、むしろワクワク感があった。

・数時間後、別働の専門部隊が応援に駆け付け、配置が入れ替わった。その後、秘匿待機を続けた後に、所定の手続きにより部屋に踏み込んで、被疑者を補足することが出来た。銃器や違法薬物も押収し、誰一人、怪我人を出すこともなく、取り込みに成功した。

・それからは、平和な街が一変し、事件に花が咲いた。「事件に花が咲く」というのは、刑事の世界ではタブーとされている言葉だ。デカ部屋に「切り花」を置くなというのは、捜査員が死ぬことを連想させる不吉な行動。鉢植えの花を置くことは「事件に花が咲く」と呼ばれ、縁起が悪いとされる。

・事件に花が咲いた理由は、相棒と悪田が互いに競い合うようになったからだ。情報収集活動に、それまで以上に力を入れ始めるようになった。未経験分野の仕事にもどんどん首を突っ込み成果を挙げた。「取り込み」と呼ばれる、被疑者を補足する場面では、こぞって一番に踏み込むことを競い合った。悪田も相棒も、不良連中から「殺す」だ「刺す」だと、随分、脅されたが、常にそういう連中とはガチンコ勝負を徹底することを決め込んでいたから、売られたケンカを率先して買っていた。不良もバカだったが、デカもバカ、相手が泣きを入れるまで徹底して戦ってやろうと仕事を進めた。

・それから、日を重ねるごとに仕事が洗練されるようになった。

・特に相棒とは命を分かち合った関係性が構築されていたから、恐れるものは何もなかった。よく、仕事終わりの帰りがけに安酒を飲みながら「死んだら骨を拾ってくれや」と笑いながら一日を振り返り、明日への活路とした。

・刑事の世界では、お茶汲み3年と言われている。語源となる動作は、江戸時代に、客の取れない遊女が茶を引いている姿を「茶をひく」と表現した姿とも重なると言われている。今はそういう時代ではなくなったが、新人がお茶くみをすることで、その日の先輩の機嫌や好み、被疑者の顔色を窺い、人の気持ちを読み取るための訓練を行っていた。そのためのアイテムとしてお茶汲みは欠かせなかった。つまり、一人前の刑事になるまでに3年、下積み生活を3年しなさいというたとえである。

・同様に「地図書き5年」「取調べ一生だ」などと言われる。とにかく、一人前の刑事になるためり道のりは長く、むしろ、年数など関係ないかも知れない。一方で科学捜査の時代になり、相棒のように手書きで書類を書く捜査員はいなくなった。今ではお茶くみ3年という言葉も完全に死語であろうか。

・悪田権三は、壮年期の駆け出しフロントマンである。若さを武器に凶悪犯人と対峙していた時代とは、置かれた環境も立場も一変し、ほどなく老齢期を迎える。これでも年甲斐なく実務能力の向上を目指している。不慣れな仕事の中で理不尽や壁に直面することもあるが、行き詰った時には、命の危機が迫った中で誰よりも率先して「オレが行きます」と手を挙げた相棒を見習うようにしている。まだまだここからも、常に相棒と誓い合ってきたとおり、一生精進の道のりだと考えている。

・無名刑事の若き時代の感傷に浸ってみた。

・「お~ワルちゃんよ、オレはおかしいと思うんだけどよ、ワルちゃんはどう思うよ?」

・相棒のいつものフレーズが妙になつかしい。

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