・あるマンションの大規模修繕工事を施工した現場代理人から、悪田の元に電話があった。「今、再施工中のエレベーター工事に不具合が見つかりました。大規模修繕工事の保証対象外となります。これから設計監理とも相談しますが、この先の工事は一旦、中断となります。今後の対応が決まりましたら、また相談させて下さい」との内容だった。
・時系列にて説明すると、約1年前に大規模修繕工事終了→【数カ月後】エレベーター回りのダイノックシート(化粧シート)に剥離が数か所見つかる→再施工→【数カ月後】設計監理に仕上がりに不満が出ていることを相談→今回の再施工といった流れだ。
・まず、情景を思い浮かべていただきたい。再施工が始まり、本来の工程に従い、①シートの剥離、②下地処理、③再施工という流れになる筈だった。悪田が施工会社から電話があった時点では①が終わった状態。たぶん10人が見たら10人全員が、100人が見たら100人全員が「なんじゃこりゃ」とぶったまげるレベルで酷い。
・元々、鉄部に塗装が塗ってあったところをグラインダーで削り、凹凸部分をパテで補修し、錆止め材であるプライマー処理をして、その上にダイノックを貼っていたのを、再施工のため剥がしたのだから、見た目が著しく悪いのは想像がつくと思う。見つかった不具合というのは、イメージとして三方櫓の下側部分に錆による腐食が進行し、足元部分か完全にボロボロにっている状態、ところどころ、朽ちて穴が開いてしまっているとのことだ。
・しかも、前述のとおり、経年使用による腐食が進行したことが原因のため、修繕工事の保証対象外とのこと。「あれ?クレームによる再施工をお願いしていたのに保証対象外って、じゃあ、お金がかかるの?」と疑問になるのが普通だと思う。施工会社はこれから設計監理とも相談するとのことだが、管理会社としては組合員さんに報告する前に、先回りして、まずはそのあたりを決めてもらいたいというのが本音だ。
・しかし、今日までやっていた工事が明日から急に中断するということは、組合員に周知しなければならない事項なので、その事実が知れ渡れば、当然に「なんで?」ということになる。しかも、今後の方針が決まるまでは、すぐに再開しないわけだから、深刻な問題でも発生しているのかとの不安が広がる。
・さて、どうしたものか。マンション管理実務に携わった経験のある人であれば、今後の展開が読めて来るのは容易いと思う。瑕疵担保責任というのは、ぱっと見た目で気づかない隠れた瑕疵かある場合に、見た目では分からない訳だから、後で分かった場合に保証してちょうだいね、という契約内容だ。改正民法では契約不適合責任と一部運用方法が変更された重要改正内容だ。
・この論法に当てはめると、施工会社としては金属部の腐食が経年により、ここまで浸食していることに気づかなかったもので、かつ、その原因も経年使用によるものだから、こちらには責任がありませんよ、ということだ。確かにそれは、所有者責任としての問題であれば、ある程度理解は出来る。
・しかし、それは、瑕疵担保の論法としては明らかにおかしい。なぜなら、今回の大規模修繕工事は「責任施工」ではなく「設計監理」という方法を採用しているからだ。責任施工の場合、通常、管理会社が、理事会と打ち合わせ、あるいは、理事会が、その諮問機関である修繕委員会等を立ち上げて、工事の仕様・数量を決める。そして、入札条件・基準等を選定し、公募したうえ、参加を希望した工事会社の規模や実績等の評価を行ったうえで入札を行う。そして、価格の優位性、工事の信頼性、安全性等を評価し、理事会が業者を選定して総会に上程する。総会にて承認が得られれば決定となり、住民説明会など実施に向けた準備が進められ施工される。
・対して設計監理の場合、まず、大規模修繕工事を監理する設計事務所をまず選定し、理事会にて内定された後、総会での承認決議が諮られる。その後、設計監理にて設定された工事の仕様・数量にて参加希望業者を公募し、責任施工と同様に施工会社を選定する。業者選定のための総会を2回やることになる。工事が始まると、現場代理人が指揮をするのだが、設計監理の場合、施工会社の仕事を監理する立場にあるのは、設計監理会社なので、責任者が常駐していることが多い。設計監理はコンサルタント会社なので、施工会社の選定をはじめ、施工のひとつひとつを監理して完成・引渡しをする責任がある。
・本件の場合、竣工後にダイノックの施工に不備があり、再施工をお願いするのは2回目となる。その際に保証対象外となる不備が発見されたということだから、施工会社あるいは設計監理に瑕疵がないということは、完成・引渡し後、わずか1年の間に金属部の腐食が一気に広がってしまったということになる。
・しかし、現実的にそんなことは考えにくいし、その論法を組合員が聞けば、猛反発は必至だ。また、仮に「施工の際、神経を使って見たのですが、その時は気づかなかったのですが、実は、中で腐食が広がっていたと考えられます」と返答した場合、やはり組合員からの反発は必至だ。「設計監理がプロのコンサルの目で見ているのに、そんないい加減な施工をやらせているのか」と責任問題に発展するだろう。
・しかも、見た目にひどい状態が放置され、この状態がこれから長くなっていくと、組合員の不満は日増しに蓄積されてくる。そこで、悪田は設計監理に電話をし、今後の対応について窺うとともに、取り急ぎ、理事役員への報告が必要であることを伝えた。そのうえで、今後の方針については、設計監理と施工会社で検討中としつつ、まずは、工事を中断せざるを得ないことを組合員に周知することを理事役員に報告し、理事長からもその内容で承諾を得た。
・その報告を終えてほどなく、別の理事役員から電話があった。やはり、悪田が危惧した内容と同じ点を指摘した。
・保証対象外という結論を先に伝えることは、施工会社にとって自社を守る盾となるが、これをあまりにも強く主張することで、かえって不利益となることがある。大規模修繕工事は一度やって終わりではなく、数十年後には2回目、さらに数十年後には3回目として行われる建物の維持保全工事だ。
・一回目の工事を終え、組合員の間に悪い印象を植え付けてしまうと、間違いなく「今度はあそこの会社にはやらせない」という意識が広がる。どの施工会社もリピーターを呼びたいがために、1年後、2年後、5年後とアフター点検を実施し、工事のメニューごとに保証をつけてサービス対応に当たっているわけだ。
・「損して得を取れ」の格言のとおり、クレーム対応が転じて、好評価となり、さらなる信頼関係の構築に繋がることもある。ところが、このような事象が明らかになった初期的段階で、安易に「保証対象外」ですを口にすると、後で誤解を招きやすい。「こいつら、工事を放り投げて、最初からバックギアに入ってるんじゃないのか」と思われがちだ。
・悪田は理事長から「工事が中断することを組合員に周知するための掲示を急いで欲しい」と指示を受けた。そのため、とり急ぎ、事実のあらましと今後の方向性を、現在、設計監理と施工会社にて検討中であることを書き入れた掲示を作成した。
・帰りがけに悪田の近所に住む、管理員さんの自宅にこの掲示を届けた。そして、明日の朝、一番に各階とエレベーター内に貼って欲しいことをお願いした。さらに、事態のあらまし、今後の方向性とともに、今後、組合員から問い合わせがあった場合の返答方法も、こうして欲しいという具体的内容をメモにして書き添えお願いした。少なくとも今朝時点において、管理会社として取りまとめた掲示は、多くの組合員に周知されていると思う。
・このあたりの危機管理意識は、悪田は警察で学んだ。危機迫る多くの事案の中で、まず最初に優先すべきこと、どういう情報をどのレベルで広報により知らしめるべきか。上司への報告と意見具申、想定される問合せに対する返答など、先回りして整理し、対応策を考えておくことで、最悪の事態を回避することが出来ることを学んだ。
・冷静になって考えれば、今回の件は、今後の展開が読みやすい事態である。このような場面においては、まずは「可能な限り誠実に対処している」という点をアピールすることが肝要だと再認識させられた。