・警察の仕事は激務だと言われている。確かに悪田も若いころはよく「無茶したなぁ」と思えるほどの仕事漬けだった。刑事課長をやらせていただいた当時は、深夜・早朝の呼び出しなど日常茶飯事、一年365日のうち、360日は普通に仕事だった。二度の正月を経験し、二度とも警察署で新年を迎えた。それが普通だと思っていたし、若いころの自分には「自分の代役はいない」という自負心と、同義語である「おごり」「高ぶり」があった。
・今、悪田はマンション管理会社のフロント担当者として、当直勤務も呼び出しを受けることもない平和な生活を送っている。しかし、それでもたまに、仕事が詰まって来ると会社に泊まり込み、徹夜で働き、夜明けを迎え、そのまま平常の仕事に就くといった業務を行っている。労働時間をすべてタイムカードに反映させたら、めんどくさいことになると聞いているので、例えどんなことがあろうとも、就業時間9:00~18:00は厳守している。このあたりが、世にいわれるブラックな会社なのだそうだが、悪田は、さほどではないと考えている。
・悪田の日課は、だいたい普通の日で、朝の5時台から業務を開始するようにしている。年を重ねると長時間寝れなくなってきたせいかも知れない。が、それでも完徹で仕事をしなければ掃けないほどの案件が溜まってくる時もある。自分に与えられた仕事だから、目的を遂げるまでは、たとえ過労死してでも完遂したいと考えている。だから、まったく問題はない。
・管理会社のフロントマンの仕事は「一人親方」とか「個人事業主」にたとえられる。しかし、悪田が働く会社では、いわゆる「インセンティブ」が取れないので、どんなに働いて輝かしい成績を挙げ、会社の売り上げに貢献しても、全く給与に反映されない。
・実は先日も、ある大規模修繕工事案件で、悪田は駆け出しながらも大きな契約に結び付ける仕事をさせていただいた。ここでは詳細には触れないが、インセンティブを取れない会社なので、数千万円単位の成績を挙げたところで、上司からの「うん、ご苦労」でおしまいだ。
・だが、別に不満はない。そもそも金が欲しいと考えて警察を辞めた訳ではないし、悪田は、ただ今、自分自身が修行中の身だと考えている。修行中の身でありながら、さも、管理実務に精通したかのような大口を叩いているが、それが自分自身を鼓舞させるための滋養強壮剤だと考えている。
・監督的立場の主要幹部が綺麗ごとばかりを並べて能書きをたれていると、いつの間にか部下が全員、深い眠りについている。
・「居眠りされるくらいな外に連れ出せ」とばかりに、例えば草野球チームを編成したとする。しかし、監督の志は高いのに、選手は誰も集まらない。仕方なしに、休日の日中に編成し直し、ようやく試合開始となった。
・「みんな、締まってこうぜ」と監督が鼓舞したものの、選手全員、横になってて試合にならない。
・このように、人を使うということはたいへんなことだ。特にやる気のない選手を鼓舞してチーム一丸となって成績を残すということはたいへんなことだ。それならば、一人親方の方が仕事がやり易い。
・悪田はそう考え、自分一人の力で出来ることを常に考え、なるべくコンパクトにそつなく、仕事を進められることが一番楽だと考えた。それが今の業務に面白いほどマッチングしている。だからこそ、マンション管理の仕事はある意味、悪田にとって天職だと考えている。
・会社の近所のコンビニに、年齢60代前半くらいの男性が働いている。悪田はいつも「深夜の店長、早朝の店長」と呼んで話しかけるが、本人は、自分は店長でないと否定するので「客にとっては一人で店をきりもりしている人は店長なんだよ」と諭している。当然、悪田が勝手に店長と読んでいるだけだ。
・店長は、とにかく律儀で礼儀正しいのだが、カップラーメンを買ったのに、よく、箸を入れ忘れる。年だから仕方ない。20時から8時までの勤務、ちょっと前まで、週5で働いていたら体調を崩したそうだ。そりゃそうだ。機敏に動いているように見えているが、それはそれなり。ただ、悪田と同じ、壮年期の同年代、一生懸命に頑張っている人を見て、応援してあげたいという気持ちに変わりない。
・決して口にはしまいと封印しているが、悪田にとっても愚痴をこぼしたくなる時がある。しかし、こうして自分より年代が上の店長が、愚痴をこぼさずに黙々と仕事に打ち込んで頑張っている姿を見ると、まだまだ自分に修行が足りないことに気づかされる。
・その気づきが大事だと考えるからこそ、会社に泊まった日の夜中や早朝には、必ず店長の顔を見たくなる。そして「店長、最近どうよ」と話しかける。
・「お互い、元気に働けているうちは、幸せだと思わなきゃね」悪田は、このいつもの店長の言葉に元気づけられる。
・だから、悪田も、もうちょっとだけ頑張らなきゃな。客のために。