・初代水戸黄門役の故東野英二郎のご子息である。父親と同じく昭和の名優で故東野英心は長男。東野英心といえば、ウルトラ〇ンタロウの副隊長役で有名。これ以外にも、かつて、土曜のお化け番組「〇時だよ全員集合!」の前座番組と悪田が勝手に高評価していたドラマ「あばれ〇っちゃく」の父親役であった。
・あばれ〇っちゃくは、悪田が小学生だった当時、土曜の19:30から放映されていた30分ドラマで、主人公の〇っちゃくこと、櫻間長〇郎の日常を描いた内容である。小学生で触法少年(当時)の〇ちゃくが、短絡的発想で悪のかぎりを尽くす。しかも、いわゆる「確信犯」で本人には、まるで罪悪の認識がない。ドラマが進んだ後半で悪事が発覚し、父親役の東野英心に引っ叩かれるというストーリーが定番であった。
・以前に紹介した、東野英二郎が演ずる「水戸黄門」では、地方自治体への特別監査の中で、業務上の非違事案(賄賂の収受等)が発覚し、追い詰められた役人が、監査役である国会議員の口封じを図ろうと大立ち回りを演じる。ところが、黄門役の英二郎が意外に強く、逆に杖で引っ叩かれる。最終的には政策秘書や、風車を武器とする現役警視庁警護課のSP、それに謎の女スパイ(くのいち)によって制圧されてしまう。彼らは政界のドンを守る屈強な精鋭部隊である。
・父親である英二郎が演じるのは、国の代表として公務で地方をくまなく巡り、総務・財政・企画といった地方自治体の主要な部局を監査する中で、実は、トップである首長がいちばん悪いことを突き止め、この引き締めを図る。これに対し、息子英心が演じる役どころは、迷惑をかけた相手に謝罪し、制裁として息子を引っ叩く単なる児童虐待である。
・もっとも、当時の一般社会では、民法で規定される親の監督権が強く認識されており、悪さをした息子に対する有形力の行使を、ことさらに「虐待だ」と叫ぶ人権論者も多くはなかった。そもそも世間一般では、そういう概念すらなかった。有形力もさほど大きなものではなく、手加減はしていたし、急所を狙った攻撃でもなく、いわゆる「お灸を据える程度」だったと記憶している。しかも、その原因を作ったのは、加害少年であり「そもそもそれが悪いだろう」という認識が当たり前だった。
・しかも、長〇郎少年の行為は、短絡的かつ単純、外部からの認識が容易なものばかりで、今でいう「ネット掲示板を利用しての誹謗中傷」とか「スマホを使っての盗撮」といった陰湿なものではなかった。愚直なまでに真っすぐさが故の行動が、後で大きな反響となり、その後の「直談判」となり、親が平身低頭、手をついて謝罪するという流れだった。逆に今の時代では、悪事が発覚すると土下座程度では許されないことが多い。
・その後、長〇郎少年が制裁を受ける。その際の、東野英心の名台詞が標記のとおりだ。「馬鹿野郎。てめぇの馬鹿さ加減にはな、父ちゃん情けなくて体液が出てくらぁ」であった。
・実は、今回、悪田が考えたのは、長〇郎少年の閃きのきっかけについてである。彼は、窮地に陥り、思案を巡らせる際に、必ず「逆立ち」をする。一見、意味のないような行動にも思えるが、彼はそこで閃く。
・同様の行動は、歴史上、実在する僧侶の幼少時代をアニメ化した「〇休さん」でも行われている。実際に「とんち」を効かせた小坊主が「この橋渡るべからず」と書かれた橋のど真ん中を堂々と歩いたのか、足利将軍に「張り子のトラをふん縛ってやるからそこからトラを出せ」と言ったかは定かではない。だが、小坊主も窮地に陥った際に、座禅を組み、剃髪した頭皮に唾液を塗り、思案を巡らせたという点では、長〇郎少年と同じであった。
・「今日は何かブログに書くための面白いネタはないか」と、悪田は午前3時起きでランニングをしながら考えていたら、何故か東野親子が脳裏に浮かび、結果、2日間にわたり、思いの丈を書かせていただいた。
・意外に思われるかも知れないが、閃きのきっかけは、日常の何気ない行動の中にあることを再認識した。逆立ちでも座禅でもランニングでも構わないと思われるので、是非、お試しいただきたい。ただし、自己責任であることを付記しておく。