パンドラの箱を開けない理由

・人は時に嘘をつく。事情は諸般あれど、基本的に良くないことだ。

・築25年を経過した、比較的小規模なマンションの物件担当者として引継ぎを受けた。

・このマンションの居住者の多くは気さくでおおらか、中にはやや血の気の多い気質の人もいるが、皆、いい人で悪田権三にとっては好きな人が多い。

・不思議なことに「キャバリア」という犬種を飼っている人が多い。キャバはシャイで穏健派で人懐っこく皇帝(犬)の風格がある犬だ。

・「犬は飼い主に似る」と言われるが、このマンションの居住者は、皆、皇帝の末裔かも知れない笑。

・ところで、悪田の前任者は、あまり住人と打ち解けていなかったように見受けられた。それは、管理会社の社員でもある管理員に対しても、そんな関係性が読み取れた。

・マンションの管理員は、居住者にとっては管理会社の人間であるが、常に「一つ屋根の下」で顔を合わせているので、打ち解けると親近感が深まり、仕事がやり易くなる。

・お互いに気心が知れてくるようになると、世間話をするようにもなるし、管理員は居住者を通じて、いろいろな情報が入って来る。

・逆に、居住者は管理員を介して、管理会社のいろいろな情報を知る機会を得る。その典型が担当フロントマンの性格・気質・意欲・能力・思想・信条・人間性といったセンシティブ情報だ。

・客商売だから、普通のフロントマンであれば低姿勢で客と接するのが当たり前。しかし、身内である社員、特に、普段から管理員を見下した態度を取っていると、とんでもないしっぺ返しを食らう。

・時にフロントマンの「へたうち」が管理委託契約の打ち切り、いわゆる「解約」となってしまうことがあるから要注意だ。

・管理員も人間だから、お願い事を迅速・適格に対応してくれるフロントマンには一目を置いてくれるし、良い評判は、何気ない世間話の中で、必然的に居住者に伝わるので、連鎖的にフロントマンの評価は、住民の井戸端会議の中で決定される。

・こうしたところ、某日、悪田は、管理員から敷地内に駐輪されている所有者不明のバイクについて相談を受けた。

・謎めいたことに、そのマンションには、竣工時よりバイク用の駐輪施設がない。しかし、バイクを保有している人が数名いて、皆、勝手に通路に止めているとの引継ぎを受けていた。

・利用料を支払うこともなく、自分の思い思いの場所に勝手に止め、これを咎める居住者もおらず、長い月日が経過し、いつの間にやら、利用者は自己判断で駐輪場としての既得権を得たものと考えた。

・前任者からの引継ぎによれば「あそこに止まっているバイクは、勝手に止めているが、組合として既得権を認めているから、今更、どかせることは出来ない」「容認事項なのであくまでも自己責任ということを理解してほしい」とのことだった。

・ところが、今日になって、管理員より「利用者の一人から『自分の部屋の前に勝手に止められている』と苦情が出ている」との報告があった。

・どうやら、苦情を言った区部所有者もバイクを何台か止めていて、自分の部屋の前に勝手に止められたことが気に入らないようだ。実に些細な了見だが、人を非難するタイプによくありがちな身勝手な振る舞いである。

・しかしそれは明らかにおかしい。自己責任で勝手に止めていることなのだから、そもそも苦情が出ること自体があり得ない話だ。前任者からの引継ぎは何だったのか。

・悪田は前任者に再確認した。すると「第〇〇期第〇〇回理事会議事録に記載されていて、当時の理事役員が、その既得権益を容認し、同内容を議事録にて配布したが、区分所有者から、特段の異論なく確定した」と抗弁した。

・そもそもめちゃくちゃな論法である。少なくとも、前任者は管理業務主任者の国家資格を保有する、実務数十年の大ベテランだ。

・今更ながら「その形状または効用の著しい変更を伴わないものを除く敷地及び共用部分の変更行為」が、いわゆる総会の「特別決議」を必要とすることを知らぬ筈はない。

・ましてや、本来、共用部分が通路となっているものを駐輪場として認めろという案件が、単なる理事会決議で決せられて良い筈がない。

・そんなものが簡単に理事会決議で認めらるならば、一部の理事役員だけで組合運営を恣意的に勝手気ままに、それこそ、自分にとって都合よく作れてしまう。

・そこで悪田は考えた。「もしかして、駐輪場を既得権益として認めることに、これまで誰も触れなかった理由は、パンドラの箱を開けることになるからでないか」と。もしかすると単なる邪推かもしれない。

・しかし悪田は、その思いを巡らせつつ、実は、古くは現社長がその物件担当者であったことにまで深読みをしてみたが、そこでの結論は結局は見えてこなった。

・実は警察という組織においても、同様な「パンドラの箱」の例は山ほどある。例えば、いわゆる「リスポンスタイム」の事例などは、その典型だ。

・110番緊急電話を受理し、警察官が現着するまでの時間をリスポンスタイムという。

・そう遠くない過去において、警察はその時間が極端に遅くなった理由を「風水害をはじめとする自然災害の多発」と嘘をついて公表した。

・警察実務に精通する者であれば誰しも知っていることであるが、当時の警察幹部は、遅くなった理由を自然災害のせいにして転嫁し、組織を挙げて嘘をついた。

・真実は、いわゆる「ミニパト」によるカーロケーターシステムと、個々の警察官に位置情報機能の登載された通信機器を持たせ、これらが現場全体に普及・充実したことによる。

・不可思議に思われるかも知れないが、本来、これらが充実したのであれば、リスポンスタイムが縮まり警察の機動性が増したことを公表できる筈なのに、時代の流れに逆行する広報をせざるを得なかった。

・「なぜか」それは、いままでのリスポンスタイムのカウントがインチキだったから。システムが充実すると電子機器は嘘をつかないから、正しくリスポンスタイムをはじき出す。

・正しい数値をはじき出されると「機器が高度化しているのに遅くなるのはおかしいだろ」ということになるから、警察内部には困る立場の者が現れる。国民に対する説明責任がつかなくなるし、上層部から問い詰められると返答に窮してしまうから。

・そこで、ある立場の者が嘘をつくことを提案する。あるものは機械がはじき出したデータを改ざんし、あるものは上司に嘘の報告をし、またあるものは、嘘の理由づけで国民を惑わす。

・実はここで比喩的に用いた「パンドラの箱」は、悪田が現職当時、教養を受けた警察庁幹部の口から出た言葉だ。もちろん述べた張本人は完全否定するであろうが。

・幸いなことに自然災害が多発した時期に嘘を重ね合わせると、さも嘘がホントウのように見えて「現場の警察官は大変だ」という印象と重なるから、リスポンスタイムが遅くなった理由を誰もほじくり返そうとはしなくなる。

・そして、古いデータは保存期限が経過しして来るので、時間の経過とともに、順次、古いデータが廃棄処分されてしまう。

・もう少しの我慢で、完全犯罪が成立するから、本来、悪田が、多少、大人になって黙ってくれてさえいれば、警察幹部たちは大喜びだった筈だ。

・しかし残念なことに悪田は嘘が嫌いだ。だから自分の経験に基づき真実を語る。

・ひょんなところで話が脱線してしまったが、パンドラの箱に話に触れてみた。

・少なくとも悪田の前任者が会社を守るためにパンドラの箱を開けようとしなかったとは思えない。

・しかし、管理会社には、委託業務の範囲内で顧客への「説明責任」を果たさなければならないから、その期待には応えていく必要がある。

・もちろん、当時の理事役員さんが容認したという、前任者の説明には、甚だ疑念が残るから、この機会に、当時の理事役員さんの名誉を守るためにも、積極果敢に箱を開けてみたいと考えた。

・とにかく小さいことでも嘘はいけない。嘘がバレたなら素直に謝り、再発防止を図るべきだ。

 

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