餅は餅屋に焼かせろ

・悪田権三は現職警察官当時、延べ13年間にわたり警部の階級を与えられた。まあ、普通、よほど、上司からの評価が悪くない限り、そんなに長い間、警部をやらせていただく警察官は、まずいないと自負している。おかげでいろいろな経験をさせていただいた。特に、上司ばかりでなく、広く一般市民の方々からもよくお叱りを受けたことは、今の自分にとって大きな糧となっている。

・ひと昔前は、警部の仕事とは「交通事故処理係」と「苦情処理係」だと言われた。まだ、警察車両の多くが、いわゆる「任意保険」に加入していなかった当時、ひとたび交通事故が発生すると、警部は、交通係員とともに臨場し、実況見分に立会い、事故の態様をとりまとめ、署長や本部主管課に報告し、当事者との示談交渉にあたる。今でも報告という重大な仕事は当然に行うのだが、警察車両の多くが任意保険に加入するようになってからは、この示談交渉という警部に課された価値ある業務がなくなってしまった。

・任意保険に加入する件数が増えた理由は、未加入の場合の費用の持ち出しよりも、保険に加入した場合の方が安くつくからだ。

・交通事故は過失により起こるものだから、本来、当事者を責めるのは気の毒ではあるが、態様によっては、相手の生命・身体を傷つけ、取り返しのつかないことになてしまうこともあり得る。職務上、道路交通上における安全をつかさどる立場にあり、市民の模範とならなければならないのが警察だから、過失を安易にドンマイと済ませることはあってはならない。ただ、不思議と当事者が責められるというよりは、監督的立場にある警部が怒られ役となる。

・「警部に人格なし」と言われている。なぜか。それは、だいたいの警部には役職が与えられているからだ。役職なしの、いわゆる「スタッフ警部」というのはほとんどいない。警察署であれば「課長」「課長代理」、警察本部であれば「課長補佐」「指導官」など、人事異動に伴い、必ずといって役職がついて回る。役回りとしては所属長の補佐役であったり、警察署では主管課の実働の最高責任者なので責任重大だから、仕事の成果は上司の手柄、逆に部下の不始末は当然、中間幹部の不始末。部下が何かをやらかすのは中間幹部の指導が悪いから。だいたいこんな構図で描かれ、教養材料にされ再発防止が図られる。組織というのは、実に健全にかつ巧妙にシステム化されている。

・当然に「自己申告制度」もない。この仕事をやりたい。こういう地域で働きたいと、自分の希望を申告する制度だが、警部になるとその権利は剥奪される。

・悪田も現職当時、警部の階級で駐在所勤務を希望したが、その意気込みはとうとう聞き入れられなかった。寛大な警察幹部がいれば、悪田の長年の夢も叶い、今頃は静かな集落で地域住民のために奮闘する駐在さんだったかも知れないが、警察組織は悪田のささやかな夢を単なる与太話だと評価して一蹴した。

・ちなみに、本部に所属する補佐職は、警察署主管課に対する「業務指導」「監査」という重大業務がある。これは警察署の一年間の評価を左右する非常に重要な業務である。その評価は実にシビアなもので、ここでは仔細には触れないが、その評価によっては、担当警部が恨まれたり、憎まれたり、愛されたり、普通だったりすることがある。仕事への思い入れと、日々の努力の積み重ね、それを評価する側の考えとは必ずしもマッチングしない。

・いっぽう、マンション管理会社のフロントマンは怒られること、叱られることが仕事である。自分がまっとうなこと、正統派であって、何一つ落ち度がなくても怒られる。怒られるのが嫌だとか、理不尽な仕打ちを受けるのはまっぴらだという人は向かないから、そういう人は、マンション管理会社ではなく、是非、警察官を志して欲しい。

・どういう理不尽で怒られるかというと挙げるときりがない。今日、悪田はある工事の再施工でエレベーターが使用出来なくなるのはおかしい。一体、何を考えているのか。と怒られた。根本的な原因はある修繕工事の不出来である。出来が悪い工事をやったために、不具合の指摘があり、再施工をやってもらう。それでも出来が悪く、結局は埒が明かないので、施工した設計管理会社を経由し、施工会社に再施工を依頼した。

・本来であれば、この時点で大失態だ。修繕の施工会社というものは、顧客である組合員から「あそこに工事をお願いして良かった」と思われてこそリピートの工事が期待出来るもの。それが素人目にも「なんだこりゃ」と思われるような工事を施工して、挙句の果てに設計管理会社から、再施工を指示されるなど言語同断だ。そんなことをやってたら、次に指名してくれなくなるのは必定だ。

・しかも、組合員からの苦情は管理会社のフロント担当にも寄せられる。というか組合員はフロントマンには言いやすい。「一日中エレベーターが使えないということは、上階まで歩いて上がれということか」「修繕工事をやった当時の現場監督が来ないのはなぜだ」などなど、フロントマンの守備範囲外の案件に至るまで、きっちりと小一時間にわたりお叱りをいただいた。しかし、悪田は、これは管理会社、なかんずくフロントマンに対する信頼の証だと考えている。

・工事の再施工をするのは管理会社ではなく、プロの施工業者。施工会社は、工事中における居住者の利便性への配慮など安全かつ、質の高い工事を行うために、英知を結集し日程を調整し、段取りを行ってきた筈だ。そのうえで、通常のエレベーターの稼働で施工を行うことは無理と判断し、原則、運行停止と決めた筈だ。そうすれば、クレームが出るのは当然のこと。

・そのクレームが管理会社に寄せられるのであれば、それこそが「餅は餅屋に焼かせろ」である。施工業者が工事のプロならば、管理会社は謝ることにかけてはプロ中のプロだ。ましては悪田には、警察人生31年、警部13年にわたり積み重ねてきた実績がある。しかも、その中身は伝統ある神奈川県警察仕込みの技法「おわび」という特殊技能である。

・怒り狂う区分所有者は、怒りに火がつくと、やれオリンピックが悪いだ、コロナのせいだ、ワクチンが遅いだ、注射を二度打ったら熱が出た、担当フロントマンの頭が剥げているだ等々、文句の数々を挙げたら限りない。これに、いちいち食い下がっていたのでは大事な仕事が積みあがる一方だ。

・我々、フロントマンはこうした局面において、顧客の意見に耳を傾け、ガスを抜き、寄り添い、抱きしめ、一緒に泣いて痛みを分かち合ってこその信頼関係が構築される。

・人は時に、意見を聞いて欲しいものだ。そして最後は、貴重なご意見をいただいたことに深謝し、今後、組合全体での合意形成に向けて一丸となることで、より一層の結束力が生まれてくる。

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