大騒ぎするほど深刻な問題でもない

弊社の社長が粋なところは、さりげない心配りが出来ることだと悪田権三は考えている。

悪田が弊社に入社したのは2020年春のことで、これからコロナがたいへんなことになると聞いての決断だった。

去年のことなので、まだ記憶に新しいと思われる。ある日、突然、ドラッグストアの店頭からマスクがなくなった。転売禁止が法制化されると、今度はトイレットペーパーやティッシュペーパー、消毒液やらハンドソープまでが品薄になる始末だった。

手に入らないが日常的に使うものだから、仕方なく洗濯機で洗って使いまわした。もちろん紙マスクのことだ。

そんな中、社長が従業員や管理員のためにどこからかマスクを仕入れてくれた。50枚入りの中国製だったが、たいへん有り難いと感じた。当時、1枚のマスクを最低5回は洗って使い回していた。

鼻の中に毛羽立った繊維が入り込もうと、ないよりはマシとガマンした。毛玉はもちろんハサミで切り取った。こんな形でマスク危機を乗り切れることが出来たのも社長のおかげだ。管理員さんに「社長からです」と伝えてマスクを差し入れると、皆、一様に喜んでくれた。

当時、世間では同様な悩みを多くの人が共有していたから、社長の心配りは、どんなに有り難かったか、社員一同、感謝した。

さらに社長が粋なのは、その出所を明かさなかったことにある。人は少なからず、困っている人に向き合う時、どこかしら、心の片隅に「やってあげた的な態度」が滲み出る。

転売禁止が法制化され、ネットでも手に入らない時代の中で、当時の自分を含めた「持たざる者達」は本当に困っていた。

その中で従業員達に無償で配られた品物だったから、社員は社長に感謝し、同時に「どうやって仕入れたんですか」と尋ねる。しかし、社長は決して口を割らなかった。普通は多少なりとも自慢げに話したくなるもの、しかし、社長は自らその感情を封印した。これは、簡単なようで、実はなかなか出来ることではない。

あるマンションの管理員が毎月末に取りまとめ報告が上がってくる業務日報に、カラスによる、いわゆる「鳥害」が記載されてくる。

何とかして欲しいとのシグナルであることは分かっているが、何とかならない理由がある。

そもそも、このマンションの敷地内にゴミ置き場がない。竣工以来、公道にゴミネットを張りゴミステーションとして無断使用している。

それがいいか悪いかと尋ねられれば、もちろん悪いことだ。道路管理者は無断使用との認識でいるがあえて不問にしているとのこと。許可は出さないし、何かしらの原因で事故が起こってしまった場合、全て管理組合の責任を負ってもらうと明言している。

ある時、柵で囲まれた形状の折り畳み式防鳥ネットを購入しようとの話が持ち上がったが、道路管理者からの許可は得られなかった。置けるスペースとしても中間サイズなものが限界で居住者全戸分の排出量に満たないとのことだった。

理事会で協議し、アンケートも実施したが、名案はなく議題は見送りとなった。

ところが、管理員はしつこく同じ話を蒸し返し「どうなりましたか」を毎月、繰り返す。管理員業務を統括する係からも悪田に質問がなされる。構造上、どうしようもないこと。問題解決に繋がる対案がないことを説明し、納得を得るが管理員が納得しない。

毎月毎月、同じことを繰り返す。「カラスがゴミをあさって散乱したゴミの片付けに苦慮している」「その後、どうなりましたか」ひたすら同じことを繰り返す。

管理会社の判断では決められないこと、再び理事会にて審議することを伝える。

その理事会で悪田はゴミネットを現状よりサイズアップすることを提案した。今まで上からゴミを包んでいたものを、今度は下からゴミを包んでサイズアップすることではみ出しにくくする作戦だ。

しかし、理事役員さんの反応は今ひとつだ。理由は「いつもそんなにゴミが溢れている訳ではないこと」「鳥害も頻繁ではないこと」「網を大型化することで事故リスクが増えること」だ。

そして、協議の結果、なるべくゴミがはみ出さないよう、意識して奥から詰めるよう、掲示と全戸投函をお願いしたいとのことでまとまった。

さらに、この件に関してご意見のある方は、管理会社を経由して教えて欲しいことを周知させることでまとまった。

残念ながら、管理員の「何とかしろ」の要望は通らなかった。それは致し方ないことだ。具体的な意見や解決策もなく、単に「何とかしろ」ではなんともしようがない。しかも、組合員からの要望であるならまだしも、管理会社の社員が身内の苦労には目を背け、私的感情を発信しているだけ。

そんなものにイチイチ対処してたのでは、本来業務に手が回らない。これに不満ならば、具体的な解決方法を提案し、理事会で説明し理事役員さんから賛同を得るしかない。

この管理員が作成した、最新の月報には、このゴミ問題以外にこんなことが書かれていた。

「もうマスクは配られないんですか」

悪田権三は呆れてモノが言えず、静観することとした。すると数日後、本人から電話があり、悪田権三にマスクの話を蒸し返した。

悪田「さあ、どうなんでしょうか、ワタシには分かりません」

管理員「じゃあ、誰に聞けばいいんですか」

悪田「社長が社員のためにと、ご厚意で配って下さったモノですから、社長に聞いたらどうですか」

管理員「ワタシの書いた月報は社長が見てくれるんですか」

悪田「さあ、ワタシは平社員ですからそんな難しいことは分かりません」「しかし、それほどマスクが欲しいのでしたら、社長に直接、言ってみたらどうですか」「あなただけ特別にとマスクを届けてくれるかも知れませんよ」

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