・標記について、視聴者さんよりお問合せをいただいた。意味が理解出来ないとのこと。漫画か何かのセリフをパクったのか。そもそも、人生とは誠実に一生懸命に生きることではないのか。「暇つぶし」とは何たることかと、こんな感じの問合せ内容だ。
・正しくは「受け売り」である。以下、経緯を含め解説する。
・悪田が警察大学校警部任用科に入校当時、同期の某県警38歳警部が自殺した。警部任用科に入校中の悲しい出来事だった。悪田は当時、36歳だったので、その方は二つ年齢が上だった。
・同じ刑事課程の隣のゼミ班班長で、将来を嘱望されていた。今は多少、事情が異なるかも知れないが、当時、警大の基本科程(正確には「運営科」「特別捜査研修所」「警部任用科」「教官養成科」などがある)のうち、警任科程は、3カ月コースの「短期」と、6カ月コースの「長期」があり、年齢44歳を境に、長期と短期に分れていた。
・警察幹部のうち、いわゆる「たたきあげ」と呼ばれる、巡査からの拝命組でなれる最上位の階級は「警視長」、神奈川県では「部長職」である。
・幹部養成課程のうち、警視正以上の幹部を養成する過程が「特捜研」で、これから所属長になるための上級幹部が入校するのが「警察運営科」である。
・警部任用科でも、当時、長期課程に入校する者は、各県警とも、将来を嘱望される幹部のための課程であり、正直、全国からの選りすぐりの幹部が入校する。極めてハイレベルな教養プログラムが組まれている。
・悪田も入校させていただいたが、講義についていくだけで精一杯の中で、これまでの経験を踏まえたうえでのゼミでの実務の展開、初動指揮、捜査指揮、さらには、二回の効果測定等がある。
・悪田も警部の階級で管区学校の教官を二年間やらせていただいたが、管区学校の警部補までの試験は、単純な「暗記大会」で何とか乗り切れる。しかし、本科と呼ばれる警部任用ではそれが通用しない。生半可な勉強で効果測定に臨むと、間違いなく赤点を取る。
・試験問題は、各県警の本部長クラスのキャリアが作る。設問に対する問題点を報告を受ける側の立場で熟知しており、具体的な対応策に関しては、基本を含め、どのように運用すべきかを常に考えているから、その目線で問うてくる。
・基本を正しく理解出来る知識、問題点を正しく把握出来る読解力、さらには、実務に精通した経験則が一体となって展開出来ないと、的外れの答案となってしまい、即座に「ボツ」の烙印を押される。
・警察という組織は、政治の影響力を受けにくいが、官僚支配の構図のもと、実働である下々には優しいが、幹部には厳しい世界なので、この試練を乗り越えてこその次がある。
・もっとも、警大の成績など、将来には影響しない。赤点をとって「バカ」のレッテルを貼られても実務において、的確に部下を指揮し、優秀な幹部として評価される警察官はたくさんいる。逆に悪田のように上司に反発して干され・蒸され・疎まれ、時期が来て、組織を去るはみ出し者もいる世界だ。
・人の生き方は本人次第、「いい」も「悪い」も自分次第だと思って悪田は警察を後にした。
・冒頭の38歳警部は、成績不良を苦に自ら死を選んだ。彼がこの世を去る二日前に、隣のゼミ班にいた悪田は、彼から銘酒「久〇田の萬寿」という純米酒を振舞ってもらった。銘酒の美味かった思いは今でも忘れない。
・「いただきものだから遠慮なく飲んで下さい」と言われ、隣どうしのゼミ班で酒を酌み交わした。刑事の実務を語り合い、問題点を共有し、卒業間近の楽しいひと時を熱く語り合える良いきっかけを与えてもらった。
・ところが、彼はその翌々日に南の4〇8号室で自ら死を選択した。
・成績を気にしてのことだったらしい。釈然としない思いが悪田にはあった。本人には今後の警察人生を左右する重要な問題だったかも知れないが、自ら死を選ぶほどのものだったのか。それが悪田にはどうしても理解出来ず自問自答が続いた。
・その後、警察に在職中、悪田も何度か、警大に入校させていただいた。その都度、彼の部屋であった、南4〇8号室の前で手を合わせた。
・県警に「森〇大」という悪田の親友がいる。有難いことに、今でも悪田を気にかけてくれているが、こいつは悪田の一年先輩ながら、超成績が悪かった。悪田も決して自慢出来るほどの成績ではなかったが、先輩よりは多少、マシなレベルだった。
・悪田は森〇に「先輩さぁ、これどう思うよ。俺たち、劣等生が彼の意を汲んで成績第一主義の警任を変えて行かなければ、同じような不幸はまた起こるべ」と具申した。そして、この点に関し意見が一致し、彼の部屋の前に祭壇を作ることになった。
・簡易な祭壇は、三日としないうちに有志の厚情により、日増しに大規模なものになった。県警の仲〇川博幸は、ある日、祭壇に向き合い、一晩中、泣きながら彼に向き合い、盃を交わしていた。皆、口には出さずとも、志半ばで自ら死を選んだ同期生の死を悼んだ。
・警察幹部も捨てたものではない。たぶん、森〇も仲〇川も、神奈川県警の将来を背負って立つ第一人者だ。悪田がオススメする素晴らしい警察幹部だ。
・卒業を迎え、多くの幹部・教職員が彼の死を口にした。
・残念でならないこと、こういう不幸を二度と繰り返してはいけないことを口にしたが、幹部警察官の力量を試験という手段で秤にかけ、有能な者と低能な者を振るいにかけてきて煽ってきた責任は免れないと悪田は感じた。
・前途ある県警の幹部を死に追い詰めた責任は、成績第一主義、結果第一主義という官僚社会の構造そのものにあると悪田は感じた。
・その中で、ある若い警部の助教が口にした言葉が冒頭の内容だ。この言葉が悪田の心に響いた。
・人生をどのように捉えるかは自分次第。だからこそ、悪田は今、自分に置かれた立ち位置で降りかかる理不尽の数々を気楽に受け止めるように心掛けている。だから暇つぶしだ。所詮、暇つぶしと考えれば気楽な人生である。
・以上が解説だ。