意味不明な上司の言葉

・日本国憲法の前文には意味不明な箇所があると指摘されている。「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」がその典型だそうだ。確かに意味が良く理解出来ない。

・今日、悪田権三は上司から小声で「ちょっといいですか」と声をかけられた。なんぞや。前提はこうだ。半年くらい前の出来事だそうだが、悪田は又聞きで知っていた程度の情報しかない。

・あるフロントマンが、担当物件を訪れた際、何かの用事でマンホールの蓋を上げることとなった。フロントマン一人では重たいので、年配男性の管理員にお願いし、二人で蓋を持ち上げた。ところが、あまりにも重く、男性管理員は転倒してしまった。フロントマンは「大丈夫ですか」と声をかける。管理員は「大丈夫だ」と返答する。ちょっと腰を痛そうにしていたが無事に歩けるし、お大事にと伝えて分かれたそうだ。

・ところが、痛みが何日も続き、なかなか癒えない。とうとう我慢し切れなくなり、通院したところ、腰骨を圧迫骨折していたそうだ。管理員からの報告を聞いて、事故から約一カ月後に会社はその事実を知る。労災事故である。当初、気丈に振舞っていた管理員さんも、段々とやり場のない怒りが込み上げてきたようで、フロントマンに「あんたのせいだ、どうしてくれる」と噛みついたが、フロントマンにしてみれば、今更、何が出来る訳でもない。

・「悪田さんどう思いますか」と上司に聞かれたものの、悪田は返答に窮した。何故、悪田にわさわざそれを聞きに来たのか。その理由が、皆目、分からない。ベストアンサーは、転倒した時に「救急車を呼ぶべきたった」か。あるいは「お年寄りに重たいものを持たせてはいけない」か。はたまた「本人が拒否しても医者に連れて行くべきだった」「すぐさま会社に報告すべきだった」といった月並みなことしか思い浮かばなかった。

・おそらく、定例の上長会議で、社長が怒ったのだろうと思った。弊社の社長は儒教のならわしに従い、年長者を大切にする性格だ。年末には必ず、自らライトバンを運転して100件近くのマンションを巡回し、管理員さんひとりひとりに菓子折りを差し上げ、一年の努力に感謝の言葉を添えて回るのが、恒例となっている。

・実は、社長はそこで管理員さんから生の言葉を聞き取り、担当フロントマンの評価を行っている。会社では上司に調子の良いことばかり言っているのに、現場の管理員さんに粗雑な扱いをしているのではないかとか、管理員さんの苦労を理解し、チームプレイを実践しているのかなどをリサーチしている。

・純粋にその評価をするために労を惜しまず巡回している。これを粋に感じる管理員さんも多い。とても良い習慣だと思う。たぶん悪田が社長なら同じことを出来ないから、うちの社長はホントに立派だと思う。

・さて、その社訓に「厳正をもって会社を守ります」というくだりがある。よく下々の従業員の間で「これは果たしてどういう意味なのか」と疑念が湧く言葉だ。「守るべきは従業員ではないのか」との言葉も囁かれるが、それはどうやら趣旨が違うようだ。

・では、会社を守るを実践するための「厳正」とは何か。普通に考えれば、法令や規範、秩序や作法を守ることのようだが、正直、イマイチしっくりとこない。

・ここんところ、ある従業員が連日のように上司と打ち合わせをしながら、担当するマンションのある理事役員との後処理に追われている。気の毒なので中身はあまり見聞きしないようにしているが、クレームをもらっているようだ。

・担当フロントマンはすっかり嫌われてしまったようで、信頼関係が完全に破綻したような雰囲気が垣間見れる。上司がクレーム対応にあたり、電話でのやりとりでは、常に電話口で部下の名前を口にして謝罪の言葉を繰り返すばかり。そこで別の宿題を与えられ、一旦、持ち帰り、次の機会に返答するを繰り返している。

・いったいどんなことがあったのか悪田には分からないが、暇な理事役員だと見ている。どうやら、やりとりを聞いていると、その口振りから、この理事役員はマンション管理士の資格を持っているようなので、担当するフロントマンを完全に見下しているようだ。そのフロントマンは無資格者なので、重説の時に有資格者が帯同するので、そういうところからもそもそも不満があるのかも知れない。

・管理会社の上長に宿題を与え、一旦、持ち帰らせて内容を聞き取り、また宿題を与えるを繰り返しているようだ。何をやっているのかはよく理解出来ないが、実に生産性のない行動だと馬鹿馬鹿しく感じられる。

・悪田もかつてそうであったが、資格を持っているということは大きな自信に繋がるのは事実だ。しかし、実務経験のこと伴わない資格など、単なるペーパードライバーと一緒だ。ペーパードライバーだって立派な資格者だから、自動車の運転をすることは可能だが、命を預けて同乗するにはちょっとした勇気がいる。

・誰でも最初は初心者だから、それを批判するつもりはないが、ペーパーマンション管理士はマンション管理士を名乗れるだけで、管理実務経験はないのだから、管理のプロである管理会社がへりくだる必要はないと悪田は考える。

・ことさらに客だと意識すれば、相手は調子に乗るものだ。悪田も客の前ではフロントマンという営業マンだから、そのあたりの分はわきまえている。しかし、同時にマンション管理士という肩書きを有しているから、知らないことは調べて分からないことは理解して、客を間違った方向に誘導しないようにするための注意を払っている。

・ただ、管理会社のマンション管理士はそれを外部に宣明しているから、何かの案件で質問を受けた時に、それは知りませんでは通用しない。少なくともペーパー管理士よりは実務経験に長け、そのペーパーに若葉マークを墨塗りしてやるくらいの意気がなければ、何故、自分がプロのマンション管理士を名乗っているのか大義名分がなくなる。

・会社を守るということは、能力の高いプロ集団を、組織だてて形成・養成するということだ。同業他社を見据え、自社との違いを比較衡量してもらい、優位性を管理委託契約という形で購入していただくものだ。そもそもマンション管理組合の管理は自分たちでやることが鉄則だ。我々、管理会社はお金をいただいて、その業務の委託契約をいただくプロ集団なのだから、プロはプロとしての仕事を完遂しなければ恥ずかしい。

・その取組意欲を形成すること、さらに高めるための努力、ひとつひとつの壁を乗り越えて行くためには物凄い熱量のエネルギーが必要だ。それを灼熱の炉で燃やし続けるためには、高い能力で稼働してくための自らに課した「厳正」という燃料が必要となる。

・厳正という言葉は威厳に満ちているから、面倒くさいこと甚だしく、常に自分との戦いによって培かわれる。それにより、個々の人格形成がなされ、組織体が形作られ、会社という単位で、生産性を目指し、発展していくというサイクルが形成される。その繰り返しを将来のビジョンに向かってさらに展開していくことが幹部の役割だと思う。

・それを組織の末端として眺めているのは実に気楽だ。ただ、平社員とて、上司のあるいは社長のメンターたる立ち位置である役割を忘れている訳ではない。

・若い上司を見据えながら「よほど困ったら悪田に言ってきなさい、少しは何とかしてあげるから」と静観していたら、帰り際に上司に呼び出され、社長からと言われ「カレースパイス」の瓶詰をいただいた。

・腰弁デカ(※腰に弁当ぶらさげて出勤する刑事を卑下した隠語)の悪田がカレーづくりを研究していることをリサーチしていた社長からの心温まる差し入れだった。

・お礼の挨拶に社長室に顔を出したら、いつもの満面の笑顔で「申し訳ないね、悪ちゃん、休みも取らず頑張ってくれて」と声をかけていただいた。あのキャラが当社の一枚看板、悪田もまだまだ修行が足らんと、自分の未熟さを実感させられた。

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