・刑事ドラマの世界では、聞き込みをするときに警察手帳を出す。そのシーンに慣れ過ぎているせいか、若いデカさんが聞き込みの際には普通に出しているのではないだろうか。果たしてアレは出さなきゃいけないものなのか。悪田権三の答えは、もちろんNOである。出す必要などない。そんなものを頼りに聞き込みをすることで、相手が身構えてしまうと、かえってやりにくくなる。ハートで勝負しろと若いデカさんにエールを送りたい。
・刑事にとって大切な素養として「やる気」と「センス」と「素朴な正義感」だと、悪田のかつての上司が名言を残して辞めて行かれた。この人は県警の各所に影響力のあった幹部で、軸にブレのない声の太い人だった。基本に忠実で曲がったことが大っ嫌いで上司にも部下にも迎合しない、一本、筋の通った人だった。皆から恐れられていたが、何故か私は可愛がられた。警部試験に合格したと挨拶に伺った時に笑顔で励ましてくれたことは今でも忘れられない。
・取調べは聞き込み捜査の延長だと言われている。警察には、いろいろな被疑者が連れて来られる。既に身柄を取られている被疑者、任意の名のもとに同行されて来た被疑者、何だか良く分からないまま「とりあえず連れて来られた人」など様々である。
・いわゆる「ケイサツ24」ようなタイトルのついた密着取材番組を拝見させていただくと「〇〇容疑で検挙」のようなエンディングで終わることがある。が、番組はそこで終わるが、被疑者と警察官との闘いはそこからが始まりである。被疑者を警察署に連れてきたことを「〇〇署に同行」などと言うが、これも厳密には、法手続きとしては、実に意味が理解できない。
・実はこのあたりを突き詰めると、その「ケイサツ24」はもっと面白くなるので、悪田権三は、今後、発展的に「ケイサツ24を10倍面白く見る方法」を提唱して行きたい。密着取材によって作り上げられたドキュメンタリー番組が「ドル箱」である理由は実に簡単だ。「ギャラ」が不要なことと、いわゆる「やらせ」のないこと、それに、警察官の活動そのものが、市民に馴染みが薄いからだ。
・以上が本日の導入で、ここから本題に入る。
・マンションにおける騒音トラブルは日常茶飯事だ。どこどこがうるさい、静かにさせろ、常識がない、などなど、騒音を感じる側はイラついた挙句、管理会社に対応を求めて来ることが多い。マンションという共同住宅において、自室以外から発せられる音を完全にシャットアウトすることは困難だ。それは普通に周知されているし、建築技術の向上に伴い、建物内の防音対策も進んではいるが、それでも無音とすることは出来ていない。
・人にはそれぞれ気になる種類の音域とリズムがある。一定の周期で刻んだ軽量衝撃音が気になる人もいれば、不定期な周期の重量衝撃音が気になる人もいる。音楽やテレビの音を迷惑と感じる人もいれば、話し声や笑い声、子供を叱る声や幼児の泣き声を不快と感じる人もいる。
・このあたりがあまり気になりすぎると音を発するのをやめさせろという意思が強くなり、次第に憎悪へと変わってくることも珍しくない。悪田権三の経験から、110番通報を受理する「受理台」においても、真夜中の2時、3時にそんな電話がかかってくるわけだから、本当に気になる人にとっての解決方法は、売却して転居する以外にない。他に解決方法があれば、是非、教えて欲しい。
・例えば100歩譲って、夜中の騒音が迷惑だとして、音源がトイレの水洗だとした場合、いくらその音がうるさいと言われても、トイレを利用するなと言えるか。中国のウイグル人収容施設では、一日一回、五分間だけ共同トイレを使わせてくれるそうだ。一秒でもオーバーすれば鉄拳制裁が飛んでくるそうでだ。そこでの看守は収容者を「お前らは動物以下だ」と罵り、抵抗しても無駄だという絶望感を与える。そして、自己批判させ、それでも反発するものを徹底的に叩きのめし、辱め、見せしめにして洗脳教育を徹底する。共同住宅において、騒音被害を訴える居住者は、自分が受ける被害意識に耐えられなくなり爆発寸前になっているかも知れないが、隣国のジェノサイドのように、隣人を動物以下の存在と見なしたとしたも、自己の価値観を力づくで他人に押し付けることなど出来はしないことを知るべきだ。
・マンションにおける騒音問題は、そもそも当事者の問題だから、本来、当事者で解決すべき案件だというとを認識してもらうべきだ。指摘された側は少なからずストレスを感じる。指摘した側も指摘したにもかかわらず改善されないことにやり場のなさを感じる。それが高じてさらに互いに根の深い恨みや対立が生まれる。だからこそ、本来は当事者間の問題なれど、お互いにやりとりをすると角が立ってしまうので、管理会社が「心の通う管理」を謳い文句に、大サービスで緩衝材役になってくれているのだ。
・それでも改善されない場合はどうなるのか。被害認識を持っている側は「証拠をつきつけてやる」となる。実際に録音器や騒音測定器を購入して科学的根拠にて立証するという努力をしている人もいるが、危篤な存在だと思う。仮にそんな屁みたいな証拠が突き付けられたところで、かえって相手の感情を逆撫でするだけであろう。
・人は切れたら最後、怒りの感情に任せ、時に恐ろしいことをしてしまうことがある。だから、切れさせないように管理会社がクッション材となり、警察が説諭し、怒りのパワーが、多少、和らいでいる。
・ではどうすべきか。合意形成しやすい土壌を作る。例えば、自分が被害者なら、なるべく多くの人に自分の被害を認識してもらうための根回しを行い、献身的に理事会活動に参加し、組合活動に協力し、居住者間のコミュニティ形成に配慮し、多くの居住者からの信頼獲得に努めるべきだ。
・最終的には、これが出来た人に賛意が寄せられ、味方が増えていくだろう。一方、逆の立場に立ってしまうと不利だ。誰からも理解されない変人のレッテルを貼られてしまうこともある。自然と孤立感を感じるようになってしまうと、共同住宅での生活がさらにストレスとなり、そこに住むのが嫌になってくる。だからこそ、普段からにこやかに、おおらかにが重要だ。もちろん、伝家の宝刀を抜く時は、絶対に負けない覚悟で挑むことが重要だが、抜かずに済むことがなにより、それに越したことはない。
・たかが生活騒音、されど生活騒音、だが、当事者にとっては根の深い問題だ。