・「石の上にも三年」と言われる。我慢して続けていれば、いずれは報われるというたとえだ。
・悪田が勤めるマンション管理会社は業種そのものの離職率が高いと言われているようだ。不動産会社に長く勤める友人からも、悪田が諸般の事情で不動産業を縮小し、今はマンション管理会社のフロントで働いていると話すと「たいへんだね」と言われる。「いやいや、おたくらの方が大変でしょう笑」と返すとそれ以上の答えは戻ってこないから、たぶん、何をやってもたいへんだという結論に行きつく。
・悪田は、今の仕事をよく「ブラック」だとか「理不尽」「不条理」などと泣き言をぬかすが、本心は「会社の看板で仕事をさせてもらっている」と感謝している。弊社は中小零細企業の部類に入る規模の管理会社だが、狭く従業員を俯瞰すると、暇を持て余している社員の割合は少ないと感じている。
・会社にいると電話はひっきりなし、客からの要望やクレームも多い。フロントマンは週末の集会に追われて走り回り、人に委ねたお願いごとも全く進展していないことは日常茶飯事だ。集会が終われは客から出された宿題の後処理に奔走し、また次の準備に走り回る。加えて構造上、制度上の不備は多々あり、周りを見渡せば、業務の仔細まで網羅出来るほどの実力者も少ない。教育制度も不十分だ。「努力をすれば報われる」という見返りに乏しいから、無駄に残って時間外をつけているとつるし上げられる。
・だから、嫌なことが重なって来ると、余計に心が折れてしまうのだと思う。人間、ひとたび心が折れるとそこから先は全てが嫌なものに見えてしまう。嫌なものを見据えながら、続けて行くしかない現実に晒されると、それまで楽しかったものまでが楽しくなくなり、好きだった食い物までもがだんだんと好きでなくなってしまう。
・そこからは負のスパイラルだ。嫌なものを推し量る尺度やストレスと感じる実態、置かれた自分の立ち位置、周囲の支えや、経済的満足度、達成感等々、人それぞれに事情が違うから、一概に何が幸せで何が不幸せなのかは分からない。
・離職率が高いというマイナス要素は、そこに働く労働者にとって、何かの形で満足感を得られるアイテムになって行かなければ、マンション管理という業界に未来はないようにさえ感じられる。
・ただ、ここまで書いて、悪田の個人的な考えを述べさせていただくと、先程の「会社の看板で仕事をさせてもらっている」という言葉に行きつく。
・そもそも、忙しい会社だからこそ、一生懸命に働いてくれるであろう従業員を募集するわけで、だいたいが、募集要綱に「私の代わりに社長になってくれる人」とは書いてない。
・「違法カジノバーの店長を絶賛募集中」とか「常設ノミ行為の稼業場の書き屋を探しています。紙とペンを支給」などの謳い文句でも掲げられていれば、たいていの人は、それが「ヤバい仕事」だと気づく。
・だが、マンション管理会社の募集にはそういういかがわしさがない。そこに長く勤めた経験のある人であれば、その労苦は共有されているであろうが、会社の看板で切れ間なく仕事をやらせてもらうことで、そこから学ぶことは少なくない。
・悪田が不動産業だった当時は、ずっと店に閑古鳥が鳴いていた。閑古鳥はどういう鳴き方をするか知っているだろうか。「このままじゃ枯れるよ」と鳴いてくれる。無音のまま鳴くから閑古学生服だ。経営者の行く末を案じて鳴いてくれるので、実に分かりやすい。対処方法を考えると不動産業者の場合、外に出るか座して干上がるのを待つか、二つにひとつである。他に選択肢はない。
・結果、悪田は完全に干上がるのを前に泣きながら縮小した。周りの同業者も大変だったろうが、悪田は恥を忍んで、一旦、身を引いた。
・当時、顧問契約をしていた税理士からは、「カネをもらう」「カネを借りる」「支払いを猶予してもらう」の選択肢を与えられたが、悪田はそれを「死の宣告」と受け止めた。なにせ、実務経験も人脈も才能もないド素人。ここで無駄にあがくことは、さらに浪費させる要因、とにかく今はエンジンを切るしかないと判断した。
・再就職した今、日々、悪田に降りかかるクレームはラブコールだと思うようにしている。苦言を呈してくれる人に誠意をもって対処し、もらったクレーム以上の結果を形にして示すことが出来れば、顧客との信頼関係は醸成される。
・集会に振り回されながらも、作成する議事録には絶対に手を抜かない。誰も見たことのない丁寧な表現に心掛け、抜き差しならない文面で方向性を明示し、そこに至るまでの事前準備と結果を出すまでのプロセスを大切にする。物事を提案する際は、必ず着地点を見据えたうえでを心掛ける。自己の能力以上の案件を必ず請負い、難解なものにどんどん首を突っ込む。人には聞かないで自分で調べる。自分で調べたうえで人に聞く。分からないことは役人に聞く。理事役員を味方につける。とりあえず謝る。とりあえず黙って聞く。とりあえず持ち帰る。ストレスをブログで発散する。こんなことを続けていると日増しに自信がついてくる。
・石の上にも三年とは、どの時点をとらえて三年をカウントするのかが、いまひとつはっきりしないから、うまく使いまわせる格言だ。就職してから三年か。転職してから三年か。起業してから三年か。行き詰ってから三年か。借入れをしてから三年か。そんなことは誰にも分からないから恣意的に使える。
・とにかく、人間、長くやっていれば、必ずいい時もある。辛く苦しい時を経験して、さらに年月を重ねると、そこから見えて来る実務は本当に生きた勉強ばかりだ。タダで勉強を教えてくれることは全て実力向上に繋がるからやめられない。しかも、少ない給料は、克己心となって自己を奮起させてくれる肉体疲労時の滋養強壮剤だ。
・今般、ある同僚が退職するにあたり、別な同僚が「彼女はオーバースペックだからうちみたいな会社には合わないんだよ」と言っていた。
・警察にもわざわざ東大を出て巡査から拝命する警察官が少なくない。悪田権三の教え子にもいた。しかし、頭が賢いのと素材に優れているのとバカになれるのとは、皆、素養が違う。東大出は東大出の良さがある。しかし、悪田のように田舎の三流高卒には低能なりの良さがある。
・それを楽しまなければ、せっかくこの世に授かった命の価値が下がる。それは、皆、平等に与えられた宿命のもと、発展的に形成され、しかも、ゴールはないから、何度でも好きなだけ挑戦するチャンスがある。
・マンション管理業者に働く従業員に向け、今度、機会を見てSNSでコミュニティを形成したい。業者間の垣根を超え、共通の悩みや苦しみ、発展的に形作られる経験値の向上、優良取引業者の情報共有や組合との付き合い方など、テーマとなるジャンルは無限大に発展するだろう。
・どんなスイーツがうまいとか、どんなラーメンが不味いとかそんな情報交換の場所だけでも意義深い筈だから、機会をみて、是非、実現させ、この業界のステイタス向上に繋げたい。
・かの有名芸能プロデューサーが言った「成功とは全力で手を伸ばした先の、あと1㎝先にある」と。