・悪田権三が尊敬する女性作家が「人は、良いことをしながら悪いことをする。逆に、悪いことをしながら良いことをする」とおっしゃられている。実に名言だと思う。悪田は何度か、警察組織の「最高学府」と言われている「警察大学校」に入校する機会を与えていただいた。その中でも、警部に任官する警察官が入校する「警部任用科」に半年間入校させていただいたことは感慨深い。
・この入校で、人生最大の誉れと感じることは、先述の女性作家の生講義を受けたことと、天皇陛下の「拝謁」を受けたことである。拝謁では現上皇陛下から身に余るお言葉をいただき、当時36歳の悪田が感銘を受けた記憶がよみがえる。人は不思議なもので、こういう非日常の経験をすると、自分自身が「特別な存在」と勘違いしがちになる。このため、愚かな幹部は、部下や一般市民、特に、職業や地位といった肩書きで表面的に人を判断するようになる。
・悪田が天皇陛下を語るには、甚だおこがましいので、当時、陛下からいただいたお言葉は、自分自身にとっての生涯の宝物として、あえて封印する。警察官でなくなった今の悪田には、不要なように思われるかも知れないが、困っているお客様や、マンション管理でお困りの組合員さんのために、あの時いただいた陛下のお言葉が、何かの形でお役立てれば、何かの報いに繋がるだろう。
・良い機会を得て学んだ経験を、悪田は困っている人たちのために役立てたい。それは、現職の警察官であった当時も、50歳をとうに過ぎてしまった現在も全く変わらない。与えられた機会に感謝し、引き続き、自分を高める人間力の向上をテーマに、日々の修行に向き合って行く所存である。
・さて、表題の話に入る。このタイトルは、悪田権三が警察人生31年間の中で、最も尊敬する偉人(奇人)の常套句であった。
・ところで、常套句といえば、昔、悪田の部下が取扱った、ある事件が否認に転じ、公判の中で共産党の弁護人が「認めなければ逮捕するって言われたんですよね。それが警察の常套句ですからね」などと、ほざいていたのを傍聴したことがあることを思い出す。これを聞いた当時の悪田権三は、やはり、偽善的な主張は、捜査実務を知らないML妄動主義者には理解し難い、異星人との対話になっていることを再認識させられた。そもそも話がかみ合わないアホを理解させるのは難儀だと感じた。
・現場の警察官は「認めないと逮捕する」とは絶対に言わない。それを言うとすれば、刑事ドラマしか見たことのない偽警官か、身分だけは警察官なるも、警察学校の初任科生か、あるいは、実務経験が未熟な中で、非違非行を重ねクビになってしまった、厄介者の元警察官しか考えられない。悪田権三は警察を厄介払いさせられたが、勧奨退職という制度を利用し、後進に譲った身なので、後進のためにも、間違っていることを間違っていると指摘させていただく。
・では、普通は何と言うのか。普通は「認めないと強制捜査に移行しなきゃいけない、あるいは、あなたにとって不利なことになることにもなりかねないから、事実を正直に話して下さいね」という。逮捕すると強制捜査に移行しなきゃいけないとでは、「ド」偉い違いだ。
・その理由は明白だ。否認事件が必ずしも身柄になる訳ではない。警察官か現認したとはいえ、人間の目には見間違いはある。しかし、警察官の見間違えで、いちいち無辜の市民が逮捕されたのでは、代用監獄たる警察署の留置施設はいくらあっても足りない。また、世の中には悪いことをやっているのが大勢いるのに、取るにたらない法定刑が極めて軽微な犯罪にまで、すべて身柄を取っていたのでは実態的な治安が悪くなるばかりだ。
・しかるに、そんな中途半端な事件に身柄をとっても、誰も評価してくれないし、むしろ、市民が不安に感じる犯罪の検挙や抑止に警察の力を注いで欲しいということになる。そもそも警察は、限られた人員の中で治安維持にあたっているのだから、なるべく穏便に、不要な有形力の行使を差し控え、なおかつ、緻密な客観的証拠での立件に努め、捜査を遂げるのが理想となる。
・共産党の弁護人が言うような「認めないと逮捕するよ」が常套句だとしたら、一体、日々、何千何万人の身柄被疑者が増えるようになるのだろうか。しかも、そういうことを評価の対象としていないのが、あるべき組織である。本当に悪い奴は認めようが認めなかろうが逮捕される。ただいま世間を騒がせている著名な議員でさえ、悪事の数々を報道で晒されているが、それが事実だと裁判所が認定していてさえも、保釈金を払うことでシャバでのうのうとしていられることを考えて欲しい。
・逮捕されたからといって何か不利益を被るのか。そんなことはないことは北海道の田舎の三流高校しか出ていない悪田権三でさえもわかる。
・さて、悪田が尊敬する「悪いことは緻密にやれ」の人は、元大幹部である。こんな大悪人を、県警の大幹部にする懐の深さは、それが昔はおおらかで良い時代であったことを窺わせる。
・とにかく悪い。上司にも同僚にも部下にも、誰に対しても悪い。見た目には紳士で色男で物腰も柔らかいから、たいていの人は騙される。あまりにも極悪だから、ここでは書けないが、ある一面では超善人で、情にもろく、報告を受けて涙を流すことすらある。しかし、悪い奴ほどよく泣く。だから務まるわけだ。
・しかも本人自身が自分を悪人だと思っていないからストレスも感じないし、本部長だろうが本庁の役人だろうが、堂々と意見具申をするし、その悪人がこうだと口にすると、不思議と説得力のある指示となり、それがまかり通ってしまう。まさにカリスマ的存在だった。
・事件の報告を受けると、幹部として、その内容を聞くわけだが、どうやって立件するのかと聞かれると、どうしても将来の見通しが立てにくいことがある。先程の共産党弁護士の例を借りると、例えば「認めないから逮捕して、その後どうするの」という質問が降りかかってくる。
・その質問の方向性を変えると「逮捕しても認めなかったらどうするの」となる。あくまでも例え話だが「いやいや、警察官が現認しているんだから、逮捕すべきでしょう」と返答するや「じゃあ、警察官が見間違えてたらどうするんだよ」と質問される。これを繰り返すと、結局は上司が必ず勝つ図式となる。
・原理原則でモノを言われると、部下は必ず行き詰る。基本に徹していれば絶対に間違いは起こらないが、そもそも、基本に徹していれば決まった時間に決まったことしか出来ないルールが形成されているから、スタートの土俵にすら立てないことが多い。
・悪人は、このあたりの裏というか、原理原則を良く知っているから、部下の取組み意欲を探る中で、常に本気度合いを探っている。そこで口先ばかりのことを報告していると、これからやろうとしている報告は全否定され、上司の信頼を失い、挙句に「指揮能力なし」のレッテルを貼られ、干されてしまう。
・逆に可愛がれる、あるいは一目置かれると、なにかにつけ声を掛けられ、意見を求められ、中枢に置かれて重宝される。重宝さの見返りを「能力あり」の評価で括ってもらえると「こいつは有能で優秀だ」と組織全体の評価に繋がるから、不思議な高評価につながる。
・何でも緻密にやることは大切であるが、上司は部下に対し、普通「悪いことをするな」と指示するものだ。しかし、この大幹部は、決して悪を否定しない。しかし、緻密でない悪に対しては手厳しかった。安易に応用に走ろうものなら、手痛いほどの叱咤激励が飛んできた。
・今日、あるマンションの理事役員さんと話をしている中で、管理会社が不要な工事を発注して、利益を貪っているのではないかとのお問合せを受けた。正直、悪田もそういう観点になかったので、寝耳に水であったが、そのように見られていることは、ある意味、大きなけん制となることを知った。
・何かの機会に悪田が緻密さを欠き、組合さんとの信頼関係を壊してしまうような所業に陥りそうになったことを想定すれば、やはり、常にそういう観点で評価される立ち位置にあることを認識し、常に襟を正すことの重要性を実感した。
・「信頼しても信用するな」とばかりに、互いの立場を理解し、適度な距離感を保ち、自浄機能が発揮されることで揺るぎない関係性が構築されることの重要性を学んだ。悪田なら、緻密にもっと深く考えて行動する。